
ひさしぶりに、えのすいに行きました
以下はゴジラのはなしではありません
ゴジラ初代の映画を観ました
私は昭和映画に出てくるような特定の女性像が大の苦手なのを思い出して頭がぐるぐるしてしまって肝心のゴジラよりそっちが気になってしまいました
(以下は、私のつっかかり所が今ここだという話で、以下の話しは作品の否定ではないのでどうかご了承ください。作品を絡めて自分の話をしているので、そういう解釈が嫌な方もお薦めしません。)
以下ただの感想(書き直しました)
とりあえずおしとやかにニコニコして常識内のことをやってればいい、という人物像がちょっと苦手という話です
昭和の名作「男はつら○よ」が実家でよく流れてたんですけど、私は主人公の妹が同じ理由で苦手でした。舞台が平成に移ったときに息子とコミュニケーションが取れてなくて、ああいう昭和の女性像が平成の子供に対応できないのをちゃんと作品の中で描いている。
外側からしか描いてないから中身が欲しい子供には通用しない。
(世代的に自分の中にもあの女性像があるのでそのまま引き継いじゃいけないなと改めて強く思いました。)
「ちは○ふる」も好きなんだけど主人公の母親がかなり強敵だと思っています。あれは子供は崩せない。(崩さなくてもいいんだけど)
主人公のかるたへの強い衝動の土台はこれだと思っている。「ここ(親の世界)から出たい、一人では難しいかもしれないけど、みんなと一緒なら出来るよ」みたいな同世代のチャイルド達の共同戦線の作品
だから「つながれ」「一人になっちゃだめ」と言う
時代と戦ってる
(水面下で子どもは代々おいつめられているっていうのは本当なんだと思う
平成は表向き戦争がない時代だと言われてますが、子供達に押し付けて問題が煮詰まるのを待っていた時代だと思います。)
「さびしいのはわたしだけじゃないよね」という叫びは、家族の中にいてもインナーチャイルドは寂しい、と同義
社会的に衣食住を与えて養育するのと、
インナーチャイルドを見て育ててあげるのは、別問題。
親側は指摘されると自分が責められたように感じるし、
子供側はお母さんが見てくれてなかったなんて認めたくないので問題をなかったことにする
問題が解決されずに煮詰まってくるのが普通だと思う
千早は、外に外に向かっていってたけど
私は、内に内にいってしまったパターン
千早は、髪が短いことやスカートをはかないことを(表向き)気にしてないようだったけど、
私はそれをなかったことにしたくなかった
表から見たときと、内面で起きてることは結構違う。
インナーチャイルドの目線って、人が入り込んでる温かいドラマを「それ茶番だよ」とばっさり切ってしまう諸刃の剣です。
それでもやっぱり自分のために切らなきゃいけないときがあると思います。
おかあさんは、あれもしてくれたし、これもしてくれたし、むりして私のことみてくれたよね?
あれ?ほんとにそうだったっけ?
いいかげん、気づいてね

キーホルダー2つ買ったらどっちもビオランテさんだった
ブログを読み返してますがほんとに狭いところを通ってきたなという感じがした
かなり無理してるというか
ジャンプ!