先日、映画「ドールハウス」を観ました
前のメモの時に「幼児性一揆」という言葉がポロッと出たんだけど、まさにそんな映画でした
(幼児性って言葉は社会では悪い意味にフォーカスされて使われてる感じがするけど良い面もある。というか良いものです。)

去年の映画だけど、公開日が小四郎義時の命日だ
以下ネタバレあります
前のメモの冒頭に、自分で「インナーチャイルドは墓の中」と書いてるんですよね。
びっくり
あれはホラー映画だから恐い表現だけど、
墓と札が貼ってある箱から出れたのはすごい良いことだと思いました。
終盤、虐待実家に引き戻されそうになったら、そりゃ死ぬ気で抵抗するよなと思いました。
自分にかかった呪いを解体するのは、冷静な理解
トラウマが強いとめちゃくちゃ手こずる、情に絡めとられると0番出口からでるようなことになる
映画のオチはこれですね。
でもあの夫婦の事情を考えると難しい。というのは甘いかな
(わたしは感覚的にはよく0番出口に向かって突っ走ってます
そして間違えたと思ってよくやり直してます)
私は実家で「人形」として育てられたんですが…というか家族みんなが人形で、実家がドールハウスだったんですが、
そのせいで映画の冒頭に似たようなことが昔起こりました。
これが凄い「罪悪感」だったと映画を見て気付きました。
当時のわたしは薄っすらとおかしいと分かっていたことを無視したわけです。
主犯は母です
そして、
話は飛びますが、この罪悪感の連鎖の発端をたどると、この土地に辿り着くんじゃないのかと思います。
富士山から75㎞の逗子鎌倉の地点が出所。
わたしにとっての「あや」ちゃん(名前が増えてく)
「罪悪感」があったらそりゃ私も土地も「自分なんて飛べない」と思うだろうな、と思いました。
家族は正直なところもう手遅れなので一旦見放して、
まずは私が、「人形」という棺から出て、「人間」になりたいという思いで、ここまで来ました
まず誰か一人がそうしないと家族総崩れだからです
でも部不相応に助けようと必死になりすぎてたかもしれない
この春は結構山場です
映画見てる場合じゃない
あと「形」っていうのは「器」でもあるなと思いました
そして「はるひ野」って駅が気になる
あそこはニュータウン終わり頃に開発され「まだ山を削るのか」とかつて私がドン引いた場所
私が幼いころはあの駅はなくてたぶん山だったはず
主人公夫婦が住んでるのはそういう場所
土地にどういう背景があるか調べるのは、結局自分を知ることに繋がる
みんなも調べよう
どういう情報が気になるのかも人それぞれ違うはず
やっぱりわたしの中で、自然を削る≒チャイルドを傷つけるになっている
(私がこのブログで使う「幼児性」はインナーチャイルドが真っ当な意見を、大人の自分に訴えることをイメージしています。私は2018年頃から一揆をかけられました。)

あやちゃんと鶴岡八幡宮
あやちゃんと友達になりましょう
一緒に世界に一揆をかけよう
動画に「ホラー映画は死者への冒涜」と書いてる方がいて、確かに私も死後に面白おかしく描かれたら嫌だなーと思った
「おかあさんに愛されたい、ひとりじめしたい」強い思いは誰にでもあって、お炊き上げしたところで地球上から消えるものではない
から人の中で練り上げるしかない